W−B 問1 史料(1)は、政治学者、ジャーナリストとして活躍したのち、
労働農民党の委員長に就任した人物によって記されたが、それは誰か。 答え:大山郁夫
問11 問10の団体(正解は黎明会)のメンバーで,大阪朝日新聞を退社した後,
雑誌『我等』を創刊し,1926年に労働農民党の委員長にもなった人物の姓名を記せ。
答え:大山郁夫
※2003年度の早稲田大法学部では、同じような出題で雑誌『我等』が出題されていました。
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W−B 問3 史料(3)は、いわゆる
粛軍演説、反軍演説などにより、
気骨ある自由主義者として知られた政治家によって記されたが、それは誰か。 答え:
斎藤隆夫
二・二六事件後に成立した( 13 )内閣は,1913年に( 14 )内閣が廃止した軍部大臣現役武官制を復活させた。
衆議院では( 15 )代議士らによる軍部批判が行われたが,大きな政治的効果は得られなかった。
〔語群〕
(ア)小林多喜二 (イ)北一輝 (ウ)井上日召 (エ)浜口雄幸
(オ)高橋是清 (カ)井上準之助 (キ)吉田茂 (ク)斎藤隆夫
(ケ)葉山嘉樹 (コ)近衛文麿 (サ)鳩山一郎 (シ)滝川幸辰
(ス)佐野学 (セ)美濃部達吉 (ソ)荒木貞夫 (タ)広田弘毅
(チ)西園寺公望 (ツ)大隈重信 (テ)山本権兵衛
答え:(13)タ (14) テ (15) ク
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T 平安時代中期以降になると、
と呼ばれる水田経営者が各地に現れ、 …(中略)…
ついには代々の土地管理権を獲得して開発領主と呼ばれると成長を遂げていった。
問5 空欄Cに入る人々のことを生き生きと記した藤原明衡の著作がある。それは次のうちどれか。
下記から1つ選び、マーク解答用紙の該当記号をマークしなさい。
あ 新猿楽記 い 明衡往来 う 江家次第 え 小右記 お 本朝文粋
答え:あ(新猿楽記)※空欄Cは大名田堵
公田の耕作を請け負って官物・臨時雑役などを負担した( a )のなかには,
(ア)多数の下人をかかえてますます大規模な経営を行う( b )も多くあらわれた。
問2 下線部(ア)の様子を描いた次の史料の出典を記せ。
三の君の夫は,出羽権介田中豊益,偏に耕農を業と為して,更に他の計なし。数町の戸主,×××××なり。
兼ねて水旱の年を想ひて鋤・鍬を調へ,暗に腴え迫せたる地を度りて馬杷・犁を繕ふ。或は堰塞・堤防・溝渠
・畔畷の忙に於て,田夫農人を育ひ,或は種蒔・苗代・耕作・播殖の営に於て,五月男女を労るの上手なり。
答え:新猿楽記 ※空欄には(a)田堵 (b)大名田堵が入る。
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W d1882年に中央銀行として誕生した日本銀行は、1942年の日本銀行法改正により、強度の国家的性格を持つ特殊法人に改組され、
従来の商業金融中心主義を放棄し、産業金融の調整にあたりうることが明記された。この改正はe戦時経済体制のもとでの金融統
制に対応する措置であった。
問7 下線部eについて。1937年に軍需産業への資金の優先的投入を目指して制定された法律は何か。
その法律名を漢字7字で記述解答用紙に記入しなさい。
答え:臨時資金調整法
問 下記の文章の から のなかに入る最も適当な語句を記入しなさい。
1937(昭和12)年7月に盧溝橋事件に端を発した日中戦争が始まると,同年9月に第一次近衛内閣は第72議会で
,輸出入品等臨時措置法などを公布し,資金と貿易の両面から経済の直接統制へとふみきっていった。
答え:臨時資金調整法
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W-問10 下線g(戦後の食糧不足時代には)について。1946年5月19日に宮城前広場で開かれ飯米獲得人民大会と
そのデモを一般に何と呼んでいるか、6字で記述解答用紙に記入しなさい。
答え:食糧メーデー
大小都市の蒙りたる戦禍,罹災者の艱苦,(カ)産業の停頓,(キ)食糧の不足,失業者増加の趨勢等は真に心を
痛ましむるものあり。
問12 下線部(キ)のような状態を打開することを政府に要求するために,この年5月に開催された大衆運動
(集会とデモ行進)を何と呼ぶか。
答え:食糧メーデー
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3 幕藩体制確立期の17世紀初め、幕藩領主は、本多正信の「百姓は財の余らぬやうに不足なきやうに治むること道なり」という
言葉に代表されるように、農民からぎりぎりまで年貢を収奪した。その結果、農民たちが疲弊しきって、寛永の飢饉が発生し
た。そのため幕藩領主は、ロ農政の転換をせまられた。17世紀中葉から後期にかけて新田開発が進み、耕地面積は慶長期の約
150万町歩から享保期の約300万町歩に倍増し、幕藩体制の基盤をなす小農経営が増大した。しかし新田開発はその反面で
の減少をもたらし、農民にとって刈敷・草木灰用の採草が困難になった。
問B 下線部ロの農政転換に関する説明として誤っているものを1つ選べ。
1.田畑永代売買禁止令を出し、年貢納入者を確保した
2.慶安御触書を発布し日常生活全般にわたる生活規制を行った。
3.五人組制度で連帯責任を負わせた。
4.年貢の村請制を推進した。
5.家臣の地方知行制を推進した。 答え:5
問C 空欄ハに入るもっとも適当な語句はどれか。
1. 村請地 2. 給地 3. 入会地 4. 百姓地 5. 鷹場 答え:3
17世紀半ばには,幕府と同様に,各藩でも行政機構などの(a)諸制度が整備され,藩の体制が整った。
問4 下線部(a)に関連して述べた文として正しいものを,次の@〜Cのうちから一つ選べ。
@ 岡山藩が朱子学者の熊沢蕃山を招いたように,いくつかの藩では,儒学思想にもとづいて,家臣や領民を教化
する政策がとられた。
A 大名は,農民から徴収した年貢米や特産物などの納屋物を販売して,必要な物資を購入した。
B 藩主が,俸禄として米や貨幣を家臣に与える俸禄制は,一部で残ったものの,次第に地方知行制に移行
していった。
C 幕府が天領の支配のために郡代・代官を置いたように,各藩でも郡奉行や代官を置き,農民支配にあたらせた。
答え:4
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問9.当時の新田開発や肥料事情がもたらした影響の記述で、適当でないものはどれか。
イ.新田開発を促進するため、幕府は統一基準で開発地の検地を実施し、新田検地条目を出した。
ロ.金肥の需要増大は、その増産と普及をもたらし、農村の一層の貨幣経済化をもたらした。
ハ.幕府による新田開発奨励によって、山に近い野原では入会地が拡大し、そこから秣肥料を確保できる農村が
増えた。
ニ.一部の有力な村役人らが、自らは地主手作をおこなう一方で、手持ち資金を困窮百姓に利貸して、質地にと
った田畑を集めて地主に成長した。
ホ.幕府の流地禁止令の発令を契機に、質地の無償取り戻しを目指す大規模な農民騒動が、越後頸城郡や出羽国
村山郡長瀞で起こった。
答え:ハ(※拡大ではなく減少)
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