内閣って「第○次」ってつけなきゃいけないの?

内閣名を答える時、何度も首相をやった人物による内閣だったら、「第○次」と頭につけて答えるべきです。たとえばこんな問題です。

立憲政友会を与党とした最初の内閣を答えなさい。

これはどこかの大学の問題ではなく、オリジナル問題ですが、答えは「第4次伊藤博文内閣」となります。もっとも、出題者がそんなにこだわってないこともあって、選択問題で、選択肢に「第○次」とついてない場合もあります。また、こんな問題なら「第○次」とつけて答える必要はありません。

立憲政友会を与党として組閣した最初の首相は誰か。

首相の氏名が問われているのですから、答えは単に「伊藤博文」です。というわけで、今日はその「第○次××内閣」についての質問を、2つ紹介します。

<Yさん>
先生、第2次岸信介内閣というのを見かけたのですがどういったものなのでしょうか??

<石黒>
第何次かを区別するのは吉田茂内閣までで十分です。鳩山内閣以降は、第2次内閣、第3次内閣があっても、それを区別させる問題はめったに出ないので、無視してください。

<Kさん>
僕は河合塾の冬期講習(総合日本史演習発展)で石黒先生の授業を受講できず麹町校で石川先生の授業を受講しているのですがその授業で《第2次加藤高明内閣》があるとならったのですが内閣プリントには記述されていません。その内閣は存在するのでしょうか?ちなみにその授業ではその内閣の外相担当者は幣原喜重朗と習いました。

<石黒>
まず、第2次加藤高明内閣は存在します。清浦奎吾内閣が第二次護憲運動で総辞職した後、憲政会・立憲政友会・革新倶楽部の3党連立内閣として誕生したのが第1次加藤高明内閣です。この時、憲政会は外交方針を協調外交に改め、外相に幣原喜重郎を起用しました。しかし、立憲政友会と革新倶楽部が合流し、政友会が総裁に田中義一を迎えて積極外交の方針に転換すると、3党連立内閣は崩れ、憲政会単独で組閣したのです。これを第2次加藤高明内閣といいます。そして、入試では第1次、第2次を区別してできごとが問われることはほとんどありません。たとえば「治安維持法が制定された時の内閣は?」と問われたら、第1次加藤高明内閣と答える必要には迫られないのです。単純に加藤高明内閣と答えれば十分です。ただし、加藤高明内閣の途中で3党連立が崩れたことは時々出題されます。しかも、その時に政友会総裁が高橋是清から田中義一に替わったことを知っている必要があります。というわけで、内閣プリントでは第1次、第2次の区別をしない一方で、加藤高明の名前の隣には「護憲三派→憲政会」と書いて、途中で与党が変わったことは示しています。何が肝心なのかがわからないと、せっかく得た知識も役には立たないということですね。


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