超底辺高校から下剋上を果たした、後藤君の復元法(2)

昨日の続きです。

<後藤貢さん>
僕は初めの方で40面を60分と書きましたが、本当にイメージだけで良いのなら、それこそ一瞬の世界でした。なら、なぜ60分かかったかと言うとプリントの部分はノートを見て丁寧に暗唱したり、喋っていたからです。なので40面の板書部分は正確に言うと一瞬で復元できました。あんな僕がですよ。まさに下剋上ですよ。僕は意味は違えど浪人だったので北条早雲ですよ。(詳しくは14番ページで)

最後になりますがノートが完成に近づくにつれて、量は増えます。辛いです。うんざりしてきます。ストレスになるかもしれません。(ハゲたりはしなかったです。)しかし復元できていると、過去問が面白いくらい解けますし、模試の結果も非常に良いです。これは凄くモチベーションの維持になります。それに敵は山ほどいます。あなたは来年の2月までにその大勢から抜きでた受験生にならないといけません。わかっていますよね。『並み』『フツー』では上には行けません。受験すると決めたならそこはしっかり覚悟しないといけません。立っているだけじゃ山の頂上には辿り着けませんから。石黒先生の情報は完璧なので、後はあなたの頑張り次第です。応援してます。

最後に受験を終えて僕が感じた事をこれから頑張る人達に伝えたいと思います。

『一瞬のためらいを一生の後悔にするな。』

僕は一足先に大学に行ってます。読んでくれたあなたも自分が行きたい大学に行けるように頑張って下さい。以上です。

追記。僕は2つほど今後の石黒日本史のレベルUP法を先生に会って提案したのですが、もう1つ言い忘れてた事がありました。それも書いてくれとのお返事があったので今から紹介します。

ズバリ『林家覚え』と言うものです。林家ぺーと言う芸能人をあなたは知ってますか?全身ピンク色のアフロのおじさんです。愛妻家です。素敵です。実は受験勉強の期間中にその林家ぺーが芸能人の誕生日を覚えるのが特技だと言う事をテレビでやっていて『〇月×日はAさんの誕生日で、BさんとかCさんも同じ日なんだよぉぉおお』と言う風に林家ぺーが思い出していたのを見て日本史の近現代の年代を覚えるのに使えるなこれ!!と思って利用してました。

例えば、矯風会の年代は頑張れたら覚えて!!レベルのものなのですが、『1886年で静岡事件と同じなんだよぉぉおお』と覚えておけば楽勝でした、、、。他にも1968は琉球政府主席公選制、あゝ野麦峠、小笠原諸島返還、GNP2位、日中覚書貿易などの年。1899年なら日本之下層社会、高等女学校令、日英通商航海条約の発効なんかあげられます。(未だに忘れてません)

さあ突然ですが問題です。テレビ放送開始の年代とカラーテレビ放送開始の年代を答えて下さい。
答えはテレビ放送開始が1953年でバカヤロー解散の年と同じ、カラーテレビ放送開始は1960年で沢山ありますが安保改定、浅沼刺殺、民社党結成、所得倍増計画などと同じです。(未だに覚えてます。)まさにこの問題を即答出来なかった人を救える方法だと僕は思います。要するに同じ年代で繋げておけばチョロいんです。『〇〇って何年だっけ~。うわぁ~。ノート覚えがまだまだ甘いな~。私のバカ、バカ!!』なんて醜い反省する事は絶対にありませんから。是非使って下さい。(※もっともバカヤロー解散の年はノートにはあるものの、覚える必要ない年代なのですけどね、、、まあ良いじゃないか、、、君、、、プラマイゼロだよ、、、はははははは。)

アドバイスは以上です。長文なので僕なりに読者を気遣って、冗談を織り混ぜながら色々な事を今回紹介させて頂きました。是非学習の手引きとして利用して下さい。ちなみに僕は普段はどこにでもいる普通の青年なので安心して下さい。別に怪しい者では御座いません。あなたが成功する事を心から願っています。では、さようなら。

その後、こんなメッセージもいただきました。

(前略)怒鳴り勉強してました。なぜ怒鳴ることに拘ったかと言うと、自分の好きな歌にしても家で呟くよりカラオケで歌う方が歌詞をなぜか覚えられるからです。ひょっとしたら声を張る事は脳を刺激するのかもしれません。少なくとも僕はそうでした。何かの参考なれば幸いです。

あちこち笑えて相当おもしろいアドバイスでした。これから受験に挑む高3生やヌルい高卒生は唖然としてしまうでしょうが、誰にでもやれる可能性はあるのです。講師としては、受験生の下剋上を見るのは実に楽しいことですが、下剋上を果たした本人が一番うれしいのは言うまでもありません。合格がわかった時にはご両親も大変喜んでくれたそうで、「初めて母親と抱き合っちゃいました」とのことでした。ジーンとくる話です。僕にはそんな経験一生なさそうですが……。


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