百名山で最難関といわれる幌尻岳(2)
稜線からかなり下って七つ沼カールにたどり着きました。感動的なことにテントを張るのにちょうど良い広さの砂場がいくつもありました。今夜の寝心地は最高にちがいありません。
ところがよく見ると獣の足跡が! これ、どの砂場にもあるんです。頭がクラクラしてきました。
腹をくくって足跡が一番少ない砂場にテントを張りました。夜中に目が覚めると、わずかに開いたテントの入口からちょうど月が見えました。こういうところに幸せを感じます。
翌朝は晴れました。
無粋な標識がないのは良いのですが、道が途中で消えたりして困惑させられます。わずかな踏み跡を頼りに歩き回りました。
昨日ガスの中を降りてきたので全貌が把握できなかったのが痛かったです。あとで上から見たら回り切れなかったエリアが存在することがわかりました。うーん、宿題が残ってしまいました。しかし次回ってあるのでしょうか……。
再び稜線に上がり幌尻岳に向かいます。ここは本州のアルプス風ナイフリッジです。
振り返って七つ沼とお別れです。
ようやく幌尻岳です。ガイドと登ってきたおばさまがたがいたので撮ってもらいました。
幌尻岳山頂から幌尻山荘への道は、刈り払いが完璧で天国です。
その後、登山口のとよぬか山荘に降りた際にわかったことがあります。百名山ハンターのおじさんから聞いたのですが、百名山のほとんどは日帰りピストン登山ができるそうです。ところが幌尻岳は、①遠い北海道の山でアクセスが悪く、②水量によっては渡渉できなくなるうえに、③幌尻山荘という自炊宿に泊まらなければならない、という3点が足かせになるんだそうです。その点僕は、若いころに川遊びをよくしていたし、テント泊縦走が基本ですからなんら苦になりません。もっとも僕はハイマツ漕ぎに苦しめられたわけですが。今度登るときには破れてもかまわない古い雨具で行きます。できれば二人以上で。
ちなみに百名山ハンターさんたちと会話をすると、たいてい「百名山いくつ登った?」と聞かれます。あまりそこに興味がないため今回は「数えてません」と答えてみました。山というのは各人の嗜好・レベルで楽しむべきもののはずです。だから日帰りピストン登山が好きならそれを楽しめばいいし、クライミングが好きならそれを楽しめばいいと思います。僕はピストン登山があまり好きではありません。同じ道をたどって同じ場所に戻るのがむなしいのです。いくつも山々を抜けて遠くへ行くほうが旅っぽくて好きなんです。数日かけるトレランに興味があるのもそのせいです。年輩の方の中には「山を走るな!」という人も多いのですが、それはそれで了見が狭いんじゃないかと思います。
さて百名山の中で最も難しいと言われる幌尻岳ですが、単に山頂を踏めれば良いというならそれほど難しくはありません。渡渉をせずに登れる新冠(にいかっぷ)ルートもありますし(今回は道が崩れて使えなかったらしいですが)。たとえ渡渉するルートを行くとしても、沢歩きの練習をしておけば問題ありません。現地の最新情報だけはしっかり確認しておくと良いですね。
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百名山で最難関といわれる幌尻岳(1)
サハリンの帰りに北海道日高山脈にある幌尻岳(ぽろしりだけ)に登ってきました。ここは「日本百名山」の中で最も難しいとされている山です。途中、川をジャブジャブ渡渉しなければならない所が20箇所近くもあるからです。水量しだいでは流されるため引き返さざるを得ません。今年はすでに大雪山では降雪があったとのことで寒さも心配でした。
今日は珍しくその登山がどんな様子だったかを紹介します。受験にはまったく関係ないのでここで閉じるか、写真だけ見て息抜きしてください。幌尻岳情報を求める登山者が検索で訪れることも意識して詳しめに書きます。また、途中グロ画像が出てくるのでご注意ください。
その日、登山口の山荘から5人が同時に出発しました。誰もが幌尻岳は初めてで、渡渉とヒグマが不安で「一緒に行こう」ということになりました。ヒグマがシカを襲ったという情報も入ってきており緊張が走っていたのです。
こんな感じで渡渉していくわけですが意外と水量は少なめでした。地元のガイドの話によれば、すでに雪渓が溶けきったためそこから流れ込む水がなくなって水量はMaxの3割程度とのことでした。うまく歩けば膝頭までしか濡れずに行けます。ツルっとやってしまえばアウトですけどね。先頭きって歩いていた僕は2度もやってしまいました。
渡渉箇所がわかりにくいという噂がありましたが、いずれも赤テープがあって苦労しません。
幌尻山荘に着きました。ここで道が二つに分かれます。右に進めば直接幌尻岳、左に進めば戸蔦別岳方面。ふつうは右の道で幌尻岳をピストンして山荘に宿泊します。山荘といっても寝具・食料はなく自炊しなければなりません(※北海道の小屋はそれが基本)。しかも生水はエキノコックス症の危険があるので煮沸しなければなりません。燃料もかなり必要です。
ところで僕はここには泊まりません。稜線直下の七つ沼カールでテント泊したいのです。そこで同行者たちと別れて左の道を進みました。以後翌朝まで誰とも会わなくなります。そして歩きだすと道を大きくふさぐものが……。
ヒグマが殺した死体です。聞いていた情報では全然ちがう場所で遭遇したため冷や汗をかかされました。地元の人たちが「日高のクマは知床のクマと違って人間を襲わないよ」と言っていたのを思い出し、心を落ち着かせました。でもそれホント??
ヤブ漕ぎが始まりました。最初は笹でしたがすぐハイマツにかわり、それが延々と延々と続きました。
道が見えません。しかもこのハイマツ、僕の背丈を超えるものもあるし、入ってくるなといわんばかりにこちらに枝先を向けてる場合も多々あります。霧雨がずっと降ってるので松の葉についた水をかぶる上に、枝が雨具に刺さってきたりします。全身びしょ濡れになりながら「ハイマツって『這い松』じゃないのかよ~」と愚痴りました。
稜線に上がって北戸蔦別岳(きたとったべつだけ)に向かうと登山道に大きな糞が(!)。これはヒグマのですね。まだ新しそうです。鳥肌が立ちました。力いっぱい笛を吹いて「人間がいるぞ」とアピールしました。
ついで戸蔦別岳をこえ、目的地の七つ沼カールに下ります。ここでもやっぱりハイマツ漕ぎ。
池塘(ちとう)好きでカール好きの僕としては最高のテント場です。今回の登山の一番の目的はここにテント泊することでした。
翌朝の七つ沼カールです。
明日に続きます。
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群馬県境を歩く稜線トレイルツアー(6)
ツアー2日目は登山ではなく、バスによる観光地めぐりでした。
最初に向かったのは嬬恋郷土資料館です。館長さんの解説で江戸時代の浅間山の噴火について詳しく知ることができました。
近くの鎌原観音堂からは発掘調査で土石流に飲み込まれた人が見つかりました。涙を誘うのは、それが若い女性と年配の女性が折り重なっていたことです。たぶん年配の女性を背負って逃げようとしていたのでしょう。二人は階段の途中で倒れていました。階段を上がりきっていれば助かったのに、ギリギリ間に合わなかったようなのです。噴火で親を亡くした孤児たちも多く、「村の子」として育てられたそうです。観音堂では地元のおばあさんたちが、お茶とキャベツをふるまってくださいました。現在も供養を続けているそうです。
残念ながらこの時の写真がありません。カメラからSDカードを抜き取ったままだったのです。失敗しました。
次に向かったのは毛無峠(けなしとうげ)です。
ここにはかつて鉱山があったのですが、今は廃墟となっているため荒涼とした雰囲気が漂っていました。かなり寒かったのですが、美女のSさんはどういうわけか大はしゃぎされていました。
「毛無峠」とはオッサンには不吉な名前ですが、マニアの間で人気のようで「群馬の秘境」とか「群馬のアフリカ」なんて言われています。ここを訪れた人たちの動画がYouTubeにいくつも上がっていて、予習で見たときには結構笑えました。
最後に向かったのは万座プリンスホテルです。僕が大学生の頃はスキーがかなり流行っていて、ここに憧れている人たちもたくさんいました。まさかこんな形で来ることになるとは思いませんでしたが、おいしいランチをいただきました。
その後は温泉こまくさの湯です。
白く濁ったお湯と目の前の景色のせいで、かなり人気の温泉なんだそうです。ここに見える湯船のうち一つは混浴で、女性二人が入っているのを見かけました。登山というと苦しいばかりで汗臭いイメージだと思いますが、こんなホテルに泊まるのなら良いですよね。なかなか味わえない体験でした。
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群馬県境を歩く稜線トレイルツアー(5)
今回歩いたトレイルは群馬県が売り出し中の「ぐんま県境稜線トレイル(仮称)」の一部でした。近年、ロングトレイルが全国各地に生まれているのですが、多くは山の稜線ではなく裾野や谷間を歩くものです。稜線の縦走歩きが好きな僕としてはそこが今ひとつ楽しめません。いっぽうこの「群馬県境稜線トレイル」は、その名のとおり稜線歩きが中心で、その距離はなんと100kmにもおよぶのです。これは稜線のトレイルとしては国内最長です!
トレイルは土合(どあい)(駅に地下ホームからの長ーい階段があることで有名)ところから始まって、谷川岳、平標山などを経由して、今回登った四阿山を越えて鳥居峠までです。
すでに赤いルートは道ができていて、あとは青いルートの開通を待つばかりの状態です。全通するのは2018年。開通すればトレランの人たちは大喜びでしょう。中には一気に100kmを走り通す猛者もいそうです。普通の人は無理せず分割して歩きましょう。お勧めは山歩きの後に温泉宿に泊まることです。このトレイルの周辺には有名な温泉がいくつもあるのです。
実際、このツアーでも下山後に鹿沢温泉(かざわおんせん)に泊まりました。「紅葉館」という老舗旅館で、湧きだしたお湯を薄めたりせずそのまま使っているという、大変風情のあるお風呂を堪能しました。
鹿沢温泉がある嬬恋村は観光にかなり力を入れています。パンフレットもたくさんあります。なかでも山歩きに便利なのが右端の『ツマゴイトレッキングガイド』です。
こんな地図が何ページも続いているんです。これなら地図を買う必要はありません。
たくさんいただきました。ご当地キャラ「ぐんまちゃん」は初めて知りました。
真田ファンは真田ゆかりの地をめぐるのも良さそうです。赤いパンフレットの表紙を飾っているのが岩櫃城です。
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はじめてのアクセ作り
※このエントリーは受験とはまったく関係ありません。
先日、母の80歳の誕生日に何を贈ったらいいかをFacebookで聞いてみました。僕自身は花を考えていましたが、ご年配の方々からは会いに行くのが一番いいとのアドバイスをいただきました。もっとも目ウロコだったのは古い友人の意見でした。『母さん、ありがとう』ソングを作って歌えと言うのです。僕が学生時代に歌を作っていたことを知っている彼女だからこそのアイデアでした。しかも「照れくさくてもやーるーの!」とまで念を押されてしまいました。たじたじです。一応、その勢いに気圧されてチャレンジしたものの、10数年のブランクのせいかなかなかメロディーが浮かびません。結局80本のバラを送りました。
約1週間後に実家を訪れてみると、バラはこんな状態になってました。喜んでもらえたかはイマイチわかりません。
翌日、母を名古屋港にあるフラワーガーデンに連れて行きました。
僕自身は花に興味がないためさっぱりわかりません。しかも母は車イスなので、移動するのは何かと重労働です。僕にとってのわずかなヨロコビはこんなジオラマがあったことです。
園内で押し花ストラップ作り教室が開かれていたので、母へのプレゼントとして一つ作ってみました。するとこちらはえらく気に入ったようで、なんとも複雑な気分になりました。なにせ値段がバラの40分の1ほどですから。
ナゾ展開を見せたのはその後です。「友達用にもう1個作ってくれ」と言い出したのです。渋々作り始めると、さらに3つと言ってきました。誰にあげるのかと聞くと、美的センスの高い人が2人も混じっていて、もう頭を抱えてしまいました。
しかもこちらが必死になっているのに、ふと横を見ると母は舟を漕いでいるではありませんか。教室の先生は「あら、お母様お疲れねぇ」って、いやいや疲れてるのはこっちですって。完全にパシられました。
それにしてもこんな子どもっぽいアクセサリーで喜んでくれる人なんているのでしょうか?
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スリルに満ちた前穂北尾根
ゴールデンウィークに北アルプスに行ってきました。前穂高岳北尾根という一般の地図には載っていない道(バリエーションルート)を登るツアーです。ゴールデンウィークの前半の北アルプスは天候も悪く、遭難事故が多発していましたが、僕が登った最終日は絶好の快晴でした。今日はその顛末を紹介します。受験にはまったく関係ない内容です。
5・6のコルから撮影しました。最後にあらわれるのが5峰です。これを越えて4・3・2峰を登り、前穂高岳をめざすのが北尾根です。
4峰。まん中の尾根沿いに踏み跡があるのがわかるでしょうか。これを登ります。
岩と雪のミックスをアイゼンつけて登るというのは、非常に緊張を強いられるものでした。アイゼンの2本の前爪を、岩のごくわずかな突起にひっかけて上り下りしなきゃいけなかったりします。例年ならこの時期の雪はしっかりしているのに、今年は雪が少ない上にだいぶ溶けていてグサグサ状態でした。それでよけいに歩きにくくなっていたのです。
振り返って歩いてきたところを撮りました。左下の赤茶色は山小屋です。
後ろから同じルートを歩いてきた2人組みのパーティー。途中からいなくなってしまいました。下山ルートを間違えてなければ良いのですが。
ハードだったのは登りだけではありません。上高地に向かう一般道(夏道)は雪で通れないため、道なき道を進みました。なかでも奥明神沢の雪渓は斜度がキツいので、四つんばいになって後ろ向きに降ることもしばしばでした。そこにさらなる恐怖が襲います。落石です。直径40cmほどの石が、僕たちの横を回転しながらヒューっとすっ飛んでいきました。あんなのが当たったら、いくらヘルメットがあっても即死です。
奥明神沢の雪渓。急角度ぶりがわかるでしょうか。すでに結構降ったところで撮りましたが、まだ相当長いです。雪渓のゴールの岳沢小屋が見えていません(汗)。
いやはや全編気が抜けない山行でした。
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島根・山口の旅(1)
12月の通年授業が終わった後に島根県から山口県あたりを旅行していました。
いよいよ入試本番だというのに、のんきに旅行の写真をアップするのはためらわれますが、できるだけ受験日本史に関係のあるものを選んでみました。よかったらごらんください。
行きは念願の寝台特急で行きました。眠れない人も多いそうですが、僕はぐっすり寝られました。
最初に向かったのは石見銀山です。写真では伝わりにくいですが、まるでアリの巣のように、地下に狭い坑道がはりめぐらされています。
世界文化遺産に登録されているだけあって、環境整備もよく博物館もふくめて見所がたくさんありました。古い町並まで残されていました。
そしてこの日はなんと飲み屋で知り合った人の家に泊まり、翌日は、その人の薦めで益田というところにある二つの寺に向かいました。そこには雪舟がつくったとされる庭があるのです。雪舟は大内氏に招かれた際に庭もつくってたんですね。もっとも竜安寺石庭のようなシンプルな枯山水庭園ではありませんでした。
その後は津和野に行きました。森鴎外と西周の家がありましたが、個人的には津和野出身の安野光雅の美術館のほうが魅力的でした。そして翌朝は津和野城に登りました。結構高いところにつくられた山城で、津和野の町並が見下ろせました
そしていよいよ萩です。ここは見どころが多すぎて2泊しても足りません。やはり松下村塾から回るべきだろうと、行ってみました。
ここで高杉晋作や久坂玄瑞らの門下生が学んだそうです。そこからは自転車で偉人の家と墓を回りまくりました。長州藩出身の偉人はいくらでもいるのでキリがありません。伊藤博文・桂太郎・田中義一・村田清風……。長州(萩)藩主の毛利家の墓がある東光寺は、独特の雰囲気でした。鳥居がたくさんあるのは神仏習合の寺院だからです。
翌日は雨のなか萩城を歩き、城下の古い町並を堪能しました。木戸孝允が生まれた家の付近はこんな感じです。
高杉晋作が生まれた家の付近はこちらです。
実に広い範囲で古い町並がのこっています。地元の方々が相当な努力をしているようです。また来てみたくなる城下町でした。
続きは、また。
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小学生以来のブロック遊び
3月のことですが、珍しい合格報告がありました。今年早稲田大学に合格したMさんと、その友達で「去年」早稲田大学に合格したHさんが連れだって来てくれたのです。つまり、Mさんは浪人で、Hさんは現役で合格していたというわけです。
当然ふたりの顔は覚えてます。でも、現役合格のHさんのことは、会うのが1年ぶりだということに気づきませんでした。
これはよく考えるとおもしろい体験です。人間は時期の記憶が苦手です。エピソードは覚えていても、それがいつのことなのかは思い出しにくい。人によって差はありますが、苦手な人の方が多いでしょう。
僕はつねづね「受験日本史では、時期の整理がカギです」と言っていますが、はからずもこんなところで実感させられたわけです。
ところで、二人からプレゼントをいただきました。僕のジオラマ好きにあわせて選んでくださったそうです。厳島神社です。
「作る時間がないかと思って、簡単に作れるブロックにしました」と言われ、苦笑いしました。はい、確かに作り途中のものがありましたね。桂離宮も岡山城もストップしたままです。この厳島神社はさすがに完成しました。
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突然おとずれたサンタさん
最近、授業でもそれ以外でも咳込むことが多いので、授業中には水分を取るようにしています。しかし、何度も同じペットボトルを使っているので、衛生的にちょっと……という声がありました。
ちなみに授業中は、水を飲むために顔を上げる時間すら取れないことも多く、100均のストローキャップを付けています。
普段ペットボトルを買わないので、なかなか新しいのに交換できませんでした。そんな僕を見るに見かねたのか、憐れんだのか、女子生徒3人がこんなクリスマスプレゼントをくれました。
これは感激でした。
授業中に飲めるようにと、片手でワンタッチで開けられるタイプなうえに、カバンに入りやすいスリムタイプ、かつ、ブログを読みあさって「緑色が好きらしい」というのもチェックして、選んでくれたそうです。教卓に持って行ったらチョークの粉で汚れそうで、貧乏性の僕は「もったいない!」と、使うのをためらうほどです。
クリスマスカードもいただきました。
いただきものをブログにアップすると、何かせがんでいるようにも見えるため、最近はアップしないようにしていたのですが、これはさすがにお見せしたくなりました。
3人のKさん、ほんとにありがとうございました。
みなさんのメッセージは、明日以降に公開します。
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岡山城ペーパークラフト
ここのところ3冊同時進行で原稿を書いているのですが、1冊はあと少しというところまで来ました。それでつい娯楽に走ってしまったのが、岡山城のペーパークラフトです。まだ桂離宮も作り終わっていないのに、新しいのに手を出してしまいました。
しかしのっけからシャチホコ(写真中央8番の部品)を切らなければならなくて、早々に頓挫したしだいです。大ざっぱに切ってもいいよという線が引いてありますが、ここはやっぱりきっちり切り取らなければなりません。9番の部品は切り取って右側に立ててみたのですが、わかりにくいですね。
と、とりあえず、原稿にもどります。