意外と出ナイ!

鹿ヶ谷の陰謀関係者 Part1

1167年、平清盛は武士で初めて太政大臣となり、一族で高位・高官を独占するなど、急速に平氏の勢力をのばしました。この動きに反発した後白河法皇や院の近臣は、1177年に京都郊外の鹿ヶ谷で平氏打倒の謀議をめぐらしたのですが、未然に発覚して失敗しました。この事件を鹿ヶ谷の陰謀、もしくは鹿ヶ谷事件といいます。

さて、この時に処罰された院の近臣に、僧俊寛(しゅんかん)、藤原成親(なりちか)、藤原師光(=西光)(もろみつ・さいこう)がいますが、通常授業では、板書もしなければしゃべりもしません。なぜなら入試にほとんど出ないからです。ところが、毎年のように生徒から「先生、俊寛はやらなくていいんですか」と聞かれます。つい先日も、生徒につっこまれました。「よく勉強してますねえ」と感心しますが、学校などでは当然のように扱われてるんでしょうか。それではここで、この3人の出題状況を見てみましょう。

実は出題データはほとんどありません。僕がわかっているのはわずか3例です。2001年同志社大(商)での藤原成親、2002年同志社大(文)での俊寛、そして2001年センター試験日本史B(追試験)での藤原成親です。他の大学でほとんど出題されてないのに、なぜ同志社! 実は、同志社大では1997年に経済学部で事件の年代を出題していました。この大学を狙う人は備えておくべきでしょう。しかし、センター試験での出題は気にするべきではないと思います。問題を見てください。

出題例

問 鹿ヶ谷の陰謀で俊寛とともに処罰された人物として正しいものを、次の(1)〜(4)のうちから一つ選べ。
(1) 藤原基衡
(2) 藤原信頼
(3) 藤原成親
(4) 藤原忠通

確かに藤原成親を覚えていれば一発で正解できますが、消去法でも十分解けますね。

(1)藤原基衡(もとひら)は奥州藤原氏の藤原清衡の子で、毛越寺(もうつじ)を建立した人物(毛越寺も意外と出る用語です)。

(2)藤原信頼は平治の乱で源義朝とともに敗れて斬殺された人物。(4)藤原忠通(ただみち)は保元の乱で後白河天皇方についた関白。

ひとつひとつのデータは挙げませんが、この3人は必ず覚えておくべき人物です。ならば素直にこの3人を消すだけで正解が出るじゃないですか。

「大は小をかねる」といって、たくさんの用語を覚えようとする人がいます。でも、それは一方で英語の勉強時間を奪うことになりませんか? 今回の鹿ヶ谷の陰謀についてならば、人名としては後白河法皇のみに絞り、そのかわり意外と出されている年代を覚えるだけで十分だと思います。もちろん、過去問を解いて傾向を分析し「ここは出そうだ」と見破れたら話は別です。ちなみに出題と関係があるのかわかりませんが、同志社大は鹿ヶ谷から直線距離4kmに満たない所にありました。