1858年に日米修好通商条約をはじめとする安政の五カ国条約を結んだ日本は、 その後半世紀にわたりその不平等性に悩まされました。 この条約では、治外法権(領事裁判権)と関税自主権の2つの点で大きく不利だったのです。 前者については外国人の犯罪を日本の法律で裁けない、 後者は輸出入品にかける関税率を日本が独自に定めることができない、という状態でした。 明治時代に入ると、外国との間で条約改正交渉が繰り返し行われ、治外法権については1894年、 陸奥宗光外務大臣のもと日英通商航海条約が結ばれて解決しました。 一方の関税自主権が回復できたのは、さらに遅れて、小村寿太郎が外務大臣だった1911年です。 明治時代の末も末、翌年はもう大正に年号が変わる頃です。 ところで、関税を自由にかけられない、すなわち関税自主権がないということはどういう意味をもつのでしょう。 まず「日本政府が高い関税を徴収してもうけることができない」ということがありますが、 それよりも「安い外国製品が日本に押し寄せるのに対して、自国の産業を守れない」という問題があるのです。 これは最近でも問題になっていることですね。 国産米は高いため、外食産業では安い輸入米が使われがちだそうですが、 そうしているうちに日本の農業が衰退したら大変なことになります。 なぜって世界中で食糧不足になった時にどうするんですか?カネにあかせて買いあさるなんてことできませんよ。 第一、外国産の農産物は本当に安全なのでしょうか。 と、違う方向に話がいってしまいました。もどします。 1894年には日英通商航海条約締結の後、他国とも同様の通商航海条約が結ばれて、 1899年から日本の法律で外国人の犯罪を裁けるようになりました。 1911年にはそれらの通商航海条約が改定され、関税率も独自に定められるようになったわけです。 このため1911年の時の条約名はほとんど出題されません。 最初に改定されたのがアメリカとの通商航海条約であったため、時々それが問われたりします。 その条約名は、改正日米通商航海条約とも、新日米通商航海条約とも、さらには日米新通商航海条約ともいいます。 この部分がよくわからなかった人が多いと思いますが、すっきりしたでしょうか。 ちなみにこの税権回復の年代は、実は他の大学でも相当出題されている超頻出年代です。 絶対に覚えておきましょう。 補足 よく西暦年のことを「年号」と呼ぶ人がいるので、ここで『広辞苑』から抜粋しておきます。 年号 年につける称号。中国で、皇帝が時をも支配するという思想から、 漢の武帝の時(西暦紀元前140年)に「建元」と号したのに始まる。 日本では645年に「大化」と号したのが最初。 天皇が制定権をもち、古くは辛酉・甲子の年のほか、即位(代始)・祥瑞・災異その他の理由によってしばしば改めたが、 明治以後は1世1元となり、1979年公布の元号法も、皇位の継承があった場合に限り改めると規定。元号げんごう。 年代 @紀元からその時点に至る経過した年数。また、紀年の中のある区切り。「―順」「―が古い」 A経過した年月。
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