佐々木康之さんの遺言 <2003年度入試>

みなさんこんにちは。佐々木といいます。アドバイスなんて大それた事など言えるほどではないのですが、石黒先生から直々に、潤んだ目をもってして懇願されたので、おおいに大それてアドバイスをしてみようと思います。特に僕は、人に勧められる勉強法は持っていなかったためそれは他の人に任せておいて、精神的な、とでも言うのでしょうか、心構えみたいなものを言ってみようと思います。しかし、これは僕が考えていたことであって当たり前ですが絶対に真ではありません。少なくとも僕はこう思い込むことによってモチベーションを維持していました。

僕は石黒先生のもとで2年間受験勉強しました。1年目は全滅で、僕の心も崩壊気味でしたが、大学に行きたかったのでもう1年の浪人を決めました。1年目の失敗の原因はただの勉強不足。2年目はその反省を生かしてとにかく勉強でした。ただ1年目も2年目も勉強以外で悩むのは嫌だったため講師を選ぶことはしませんでした。2年目は2つの予備校を掛け持ちしたのですが、悩んだのは春先予備校を選ぶときだけ。後は先生を信じて勉強するのみ(実際は良い先生方に恵まれましたが)。よく講師に不満を持ち、批判する人がいますが、その人はそんなに勉強しているのでしょうか。そうではなく、ただ理由をつけて勉強から逃げているだけではないでしょうか。講師になって何年もそれで‘メシ’食ってるんですから、ほとんどはそれなりに有効なものだと思います。それを「使えない」という人は、ただその方法を使いこなせてないだけだと思います。そもそも文句を言える人は、大学に行ってる人であって、予備校生が言うのはおかしいし、かっこ悪過ぎると思うのは僕だけでしょうか。

浪人というのはかなり苦しいものです。その浪人をもう一年行うことを支えていたものは、いたってシンプル。まず自分がやりたいから、自分で実行の決断を下したという事実。そして同じ時間を与えられるのだったら、楽しい、満足のできる時間を過ごしたほうが良いと思ったことです。今やらないで後に苦汁をなめるくらいなら、今ちょっとがんばっていた方が良い、こう考えると勉強することができました。何をしていても、どんな風に過ごしていても時間は過ぎて行って、本番の時は来るものです。また苦しむのは嫌。それならがんばって春笑っていたほうが良いでしょう。このように当たり前のことを再認識することは、複雑なものよりもパワーを与えてくれるものだと思います。

僕にはどうしても行きたい大学があって、そのために周りに多大な迷惑をかけながらも浪人を続けました。それはひとえに自分のためであって、誰かのためではありません。自分のエゴに従っての作為です。それは自分のため以外の何でもなく、その瞬間に責任は自分に来ます。責任を負うということは、苦しみも悲しみも負の要素全て自分が背負うということです。しかしそれはまた、逆に喜びも、楽しみも、成功したときの恩恵全て自分のものということをも意味します。そこでは恩恵だけを手にして、苦しみは回避するということは許されません。苦しみを他人に分けてしまったら、成功した時の喜びも減ることになるのです。喜びのために今進んで苦しみを受けよう、という気持ちになったらしめたものです。石黒先生を見てください。合格は直接自分のものではなく、間接的な合格に喜びを感じるだけなのに、毎日目の下にクマを作っていらっしゃる。仕事とはいえどもある意味病的ともいえそうな先生の姿勢は、僕らには良い刺激となるはずです。 自分のために自分が責任を負うことは、自分の人格を大切にすることとなり、これは他人の人格を尊重するため不可欠なものでもあると思います。

ここまで説教めいたことを好き勝手書いてきてこう言うのもなんですが、結局は勉強すれば良いだけのことです。「それはわかっているけど……」という声が聞こえてきそうですが、その大学に行きたいのなら仕方がありません。入試問題というのは、その大学がここまでの能力をつけて入って欲しいという意思表示です。わかっているけどいろんな誘惑が……という人には僕の採っていたやり方を教えましょうか? 誘惑があるならそれから自分を遠ざければ良いのです。あらゆる外の情報をシャットダウンする。自分を外界から隔離すれば、誘惑の糸口さえありません。そのうち感情の起伏も小さくなり、その日の気分に煩わされるという事がなくなって、勉強の準備O.K.となります。ただ、また矛盾したようなことを言うようですが、このように精神面での、また物理面での方法論がたっくさんありますが、これらはただのテコだというのを忘れないでください。テコだけを探って勉強した気分になっていては、僕の二の舞いになってしまいます。 やはりしっかり腰を据えて勉強しなければ、成功は望めません。

それから最後にもうひとつ。僕は頭の回転と記憶力の悪さに関しては、自信があります。(唯一自信があるところがここです(笑))でもそこは道具(コンピュータなど)と時間で補えるものです。これは受験以外でも多くに当てはまります。ただ受験での道具の使用は不正行為になってしまうため使えませんが、時間は本番以外でいくらでもかけられます。自分が人より頭の回転が、記憶能力が悪いと思うならその分人より時間をかけたら良いのです。そこに理不尽さなど感じても仕方がありません。

以上が僕の書けることの全てです。本当に主観の賜物のようなことを並べて、失礼なところもあったと思います。でもこれが自戒を込めた僕の意見です。自分のために目標を是非実現させて下さい。夢見るだけなら簡単なこと、実現させなくては。


●コメント
やはり「病的」に見えるのでしょうか。僕も佐々木君と同じように、自分に能力がないと思っているので、入試問題分析・原稿執筆・授業準備など、時間だけは思いっきりかけています。それから、誘惑を遠ざけるっていうのも同じですね。ストイックに仕事に打ち込むことは、すでに快感になっています。もちろん、へとへとですけどね。それにしても、毎日クマはありますかねえ。そんなところに敬語を使われても…とも思いますが。


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